【会計士関連】なぜ公認会計士は使えないのか?シリーズ① 視点の違い、目線の低さについて

公認会計士と聞くとどういった印象を受けるだろうか?会計に精通しているのは、もちろんのこと、経営戦略や管理業務にも詳しく、まさに将来のCFO候補達といった煌びやかなものだろうか?

はたまた、どーでもいい些細な論点を突っつきまわして、会社の事業や実務など碌に知らず、日々しょうもない仕事をしているくせに変に給料は高く、妙に上から目線の偉そうな会計オタク連中といった感じだろうか?

私は監査法人から事業会社に数か月経つのだけれど、何となくだが事業会社が公認会計士に求める能力、資質とそのギャップが見えてきた気がする。

メモ書きのようなものだけれど、公認会計士に何が足りないのか、ちょっとずつ書いていこうと思う。逆に、今監査法人にいる公認会計士の人たちはこの足りない部分を少し考えながら日々の業務に当たってほしいと思う(もしかしたら、転職活動もちょっとだけスムーズになるかもね)。

まずはかなり根本的なところから、「目線の低さ」と「視点の違い」という話から。

  1. 目線の低さ
    事業会社は監査法人から四半期や期末の監査が終了すると、その期の検出事項をまとめた書類を貰う。事務所によっていろいろ異なるが、マネジメントレターとか言ったりする。文字通り、経営者に宛てた書類だ。最近だと、WordではなくPowerPointで作成されたビジュアル的にも美しいものも多くなってきている。マネジメントレターに書かれることは、会社が抱える会計上の論点や内部統制上の課題などが中心だ。会計上の論点だと、のれんや有形固定資産の減損損失や、繰延税金資産の回収可能性といった昨今話題になっている会計上の見積りのトピックが多く、内部統制上の課題だと会計システムのID管理の不備や、海外子会社の不正等が多いのではないだろうか?

    ただこのマネジメントレター、事業会社側からすると部分的過ぎるのだ(一応、監査法人出身者として些細とは言いませんとも、ええ)。

    例えば、内部統制上の論点だと、テストした結果、証票書類に一部不備があった(ハンコがないとか)、システムのIDの棚卸が出来ていなかった、一部処理に誤りがあり使っているスプレッドシートがイケてなかった…など。
    確かにエラーはエラーであり、不備は不備であり、検出事項として伝えるのは大事なのだけれど、あれだけ膨大な時間を費やして、高い金払って(まあ、これは反論あるかと思うが…)結局出てきた成果物がこの調子だと、まあ事業会社側はシラケるわけです。お偉方は特に。

    なぜ、こうなってしまうかというと、今の監査がこういうもんだから。

    今の監査は昔と異なり、属人的な、感覚的なものから離れ、かなり標準化されシステム化されている。昔ながらの”大先生”による異常点監査ではなく、やるべきことが監査基準や各法人のマニュアルなどで明確化されており、割とどのチームでもやるべきことというのが似通ってきている。そして、実際に行った手続は電子調書として纏められ、漏れがないようにシステム化されている。

    しかも、この標準化・システム化は大体グローバルに展開されるため、各法人間、そして各国家間においても少しずつ差がなくなってきている。これはこれでメリットがある。昔はチームごと、パートナーごとに監査で実施することが異なっており、ある会社はザルであり、ある会社は非常に細かく視られるといった差があった。で、ザルっぽいことをやっていた会社から粉飾決算が見つかったりする。標準化やシステム化を進めれば、少しずつだけれどもこういった人による、チームによる、法人による差というのはなくなり、一定の水準は確保できる。監査の品質管理というやつだ。

    一方で、標準化・システム化の陰で失われたものもある。

    昔は少し時間的に余裕がある一方で、会社とのコミュニケーションを密にとる時間があった。それは単純に作業が少なかったから、クライアントの人と飲みに行く時間がいっぱいあった、というだけではない。今と異なり、パートナーのローテーション制度(パートナーは5年だか7年だかで別のパートナーに交代する必要があるのだ)もなく、一つのクライアントに長い期間コミットできた。

    ぺーぺーのアソシエイトやスタッフが最初はおっかない経理課長に怒られながら少しずつ会社の理解を深め、数年経ちシニアになって、ややこしい会計処理や新しい基準が出れば会社から頼られるようになり、時には自ら決算作業を手伝って、また何年かしてマネージャーになれば、取締役や部長クラスと全社的な観点から会計上の論点や内部統制なんかを議論しつつ、クライアントのビジネスとは何なのかという本質を知り、そしてパートナーなる。その頃になると、もうクライアントと付き合い始めてから10数年経ち、会社の経理担当者よりも詳しかったりする。厄介払いされるので、会社にはあまり行かなくなったけれども、大事なミーティングなどでは結構鋭いことを会社にも言ったりする。

    事業会社ではそんな監査法人のパートナーをおっかないなあと思いながら、反面頼りにしていたりする。難しい論点があれば、答えを出してくれるし、たまのミーティングではなるほどと思うことを言う。

    こうして、長い年月をかけて、公認会計士も会社の二人三脚で成長できていたのではないだろうか?会社は事業の知識を、会計士は会計の知識をそれぞれ持ち合い、お互いに補完しあい成長するという関係。しかし、いつしかそのサイクルが上手く回らなくなり、お互いがお互いを甘やかす結果となり、粉飾などの問題が発覚する。そして世間は両社の関係をこう批判する。

    「馴れ合い」だと。

    結局、お互い少し距離を取って「節度ある」お付き合いをすることが求められた。標準化とやらでやることが増えたし、つまらないエクスキューズのための書類も増えた。一方で、少しずつ会社のことが、ビジネスのことが分からなくなった。分からない人が増えた。経営者に”刺さる”ことなんて書けないし、そんなこと考えている時間もない。そもそも、経営者にも取締役にも大して話したことないし何考えてるのだか分からないし。下の連中に聞くと、何やら内部統制のテストで、ちょっとエビデンスがなかったらしい。じゃ、ここら辺の当たり障りのないことを適当にまとめて報告するか…となり、先の面白くとも何ともないマネジメントレターが出来上がる。

    会社も会計士に頼らなくなった。会計士は転職市場に定期的に出回るから必要であれば雇えばいいし、検索エンジンなどの進化で、インターネットに聞くほうが早いこともある。というか、会計士が調べ物をするときにググってるし。

    結局、会社との、経営との接点が少なくなり、パートナーやマネージャーというそこそこの立場の人間が、経営、事業、管理、海外といった視点で問題を語り、それを納得させる能力が失われて行ってしまったのだと思う。

    なので、事業会社からすると、特に昔の怖い大先生を知っている人からすると、どうにも目線が低くて、期待外れに感じてしまうのだろう。

  2. 視点の違い
    いや、そうではなく、そもそも監査がこういうもんだから、という理由もある。
    前提中の前提の話だが、監査は、投資家保護がまず最初の目的であり、会計基準との準拠性や重大な虚偽がないかどうかが重要。
    内部統制監査が始まって以来、一応財務諸表ができるプロセスを追っていったりするものの、実際に会計士自らが手を動かすことはなく(というか、できないのだが)、その実効性や効率性なんかは肌身で感じることはない。飽くまでも出来上がったものにケチをつけるというスタンス。
    なので、経営や事業の課題はそれは経営者や事業会社の人間が考えることであって、会計士の仕事じゃない。それを期待するのなら、コンサルティング会社かアドバイザリーファームにでも言ってよ。なんならグループのコンサル会社を紹介しましょうか?…と考え始めれば、今っぽい監査法人の会計士の出来上がりと。

    これはこれで一理ある。監査は別に経営コンサルティングでも何でもない。はなから、目的が全く違うのだから、それを求められても困るのである。

    結果、こういうマインドの人からは残念ながら事業会社が求めるようなものは何も出てこない。当たり前だ、考える必要性を感じていないのだから。

    加えていうならば、こういう会計士は就職活動すると大体面接で撥ねられる。手転職理由として「経営に貢献できることがしたいです」というのだけれど、具体的なことを聞くと、全く考えていないか、的外れなことが大半だから。

 結局、事業を知ること、事業と会計を結び付けること、会計から事業に貢献できることを考え、そして出来る範囲で実践することが重要なのだけれど、今は監査法人でその機会が十分に与えられていない。偉い人や昔の人の一部はそれに気が付いていて、何とかしたいと思っているけれども、そもそも監査そのものの業務のボリュームが大きくなってきているため、この流れを変えるのはなかなか難しそうだと思っている。

 

【書評】『外資系コンサルのスライド作成術―図解表現23のテクニック』山口周

 ★★☆☆☆

 

今勤務している会社は、Wordをほとんど使わない。中途入社社員にマッキンゼーやらBボストンコンサルティンググループ(以下、BCG)やらコンサルティングファーム上がりの人が一定数いるからか、報告資料や補助的なハンドアウト等、大よそ全てPowerPointで作成する。

 

そこで様々な人が作成したスライドを目にするのだが、まー、千差万別である。グラフやチャートの作り方、メッセージを置く場所、配色、シェイドの使い方…割と「最低限こういう風にしなさい!」というお作法が決まっていて、スライドについては細かい指摘が入る会社だとは思うのだけれど、それでもレベル感はいまいちだ(私もそんなに自信があるほうではないです…)。

 

例えば、職場だとしばしば、上司が作った資料について部下の私が”忌憚無き”アドバイスを求められる。目の前には、レゲエのアルバムのジャケットかのごとくラスタカラーの良く分からないチャート…上司は割と達成感ある顔で「どうかな?なかなか分かりやすいと思うのだけれど…」と言われる。さすがに私も「何がやりたいのかサッパリわかりません」と忌憚なく言うと今後の仕事に支障が出るのは承知しているので、やんわりと「このボックスは削ってもよいのでは…」「色はもうすこし淡いほうが…」「矢印とかを使っては…」と誘導していく。しかし、なかなか改善せず似たような要領を得ないスライドが各所で量産される。

 

ここで、スライド作成が厄介なのは(エクセルもそうだと思うが)、「自分で作っている間に自分の頭が整理されてしまう」ことだ。このため、作った本人は最高にわかりやすい資料を作ったと思い込み、何故他人からみて理解しにくいかが分からない。

これを解決する一つの手段が、「型にはめる」という方法だ。その、「型」を完結に教えてくれるのが、本書だ。

 

 

この手のスライド作成術というのは、一時期雨後の竹の子のように出てきてもはや差別化が難しいと思っていたが、どうしてどうして、簡潔に纏まっていてとても良かった。

テクニックというサブタイトルからどうしてもPowerPointの操作やグラフの細かな描き方が主な内容化と思ってしまうが、内容はテクニックというよりは原理原則、プリンシプルが記載されている。スライドを作成する順番、数値の種類とそれに適したグラフ、メッセージとチャートの軸を整合させる…など、スライド作成の基本が内容だ。

 

本書のまず良い点は、非常に簡素に書かれているという点。ページ数も160ページ程度しかないため、サクサク読める。おそらく多くの人は半日から1日程度で読めると思う。

二つ目は、簡素である一方で情報理論などに基づいたアカデミックな知識を少しずつ盛り込んでいる点だ。

例えば、人間の知覚上、「長さ」と「面積」では、「面積」は差異を知覚する上で劣っている。このため、円グラフはあまり使用するのは限られるべきであるといったアドバイス(BCGでは円グラフ使用禁止らしい、へー)。

はたまた、スライドは左上から右下に進んで視線が移動するため、右上の「強い休閑領域」に重要なメッセージをおかないというグーテンベルグ・ダイアグラムなど、なかなか面白い挿話があり、簡素な割に勉強になるのも本書の特徴だ。

スライド作成の書籍は類書は様々あるけれども、とりあえずこの1冊で「型」を学べばいいんじゃないかと思います!(逆にこの「型」を徹底するのが大変という…)

 

※本書には以下の姉妹版の「作例集」があり、より豊富な事例に触れることが出来る。上記の書籍だけだとイメージが湧きづらいという方はどうぞ。普通に見ていても面白いです。

 

【書評】『東大卒プロゲーマ― 論理は結局、情熱にはかなわない』ときど (※あるいは、個人史的『「バカな」と「なるほど」』)

 

 

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格闘ゲームの世界では1年に1回、「EVO」という大きな大会がアメリカで開催される。そこでは複数タイトルで競われるのだが、その中で目玉の一つである『Street Figher Ⅴ』で、頂点に立ったのが、今回の著者”ときど”こと、谷口一氏である。

 

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ときど氏は見た目比較的若い印象を受けるが、現在32歳。格闘ゲームの世界ではベテラン中のベテラン。日本だとウメハラと並び称されるほどの有名人。


そんな彼が自分の半生と自分の格闘ゲームや人生に対する考え方や姿勢を書いたのが本書だ。概要を書くと、ときどは、タイトルにもなっているように東大卒だ。もともと都内の「御三家」の一つ名門・麻布高校を卒業し、一浪して東京大学に合格。工学部に進学し、大学院に入ったものの、中退。国家公務員になる道もあったものの辞退し、当時海のものとも山のものとも知れないプロゲーマーの道へ進み、世界でも屈指のプロゲーマ―の一人として活躍している…と書いてきたら、東大卒でゲームなんてちっともやらないような真面目君が、冴えない大学生活の中で格闘ゲームの面白さに目覚め、世間の様々な偏見等に立ち向かいながら、プロゲーマ―としての道を歩む…という半生ではまったくない。

というのも、このときど氏、そもそも中学時代から格闘ゲームが相当強く、高校時代にはすでに世界的な大会で結果を残していてる。しかも、ご両親、というか御父上はゲームや子供の興味について理解がある方で、格ゲーばかりやる息子の障害になるということはなかったそうな。

この本人の恵まれた才と理解ある御両親という環境、高校時代に頂点に立ち、東大へ合格するという幼少時代は、はっきり言ってほとんどの人からはまさに順風満帆という印象だろう。だもんで、本書はときど氏の挫折やら絶望といったものが滔々と書かれているのだけれど、その内容と言えば「調子に乗って先輩に怒られた」「勉強しなくて東大不合格だった」「試験の成績が悪くて望んだ研究室に入れなくて不貞腐れた」といった程度であり、正直読者が期待しているような暴力的な父親に隠れながらも、自販機の下で50円玉をせっせと集め、塾帰りにカツアゲに怯えながら六本木のゲーセンで格ゲーの腕を磨き、世界を獲る…というストーリーではありません!

 

なもんで、ときど氏の半生は正直、そんなに面白くない…(凡人の僻みかもしれないが…)。 

 

では、本書の面白さは何か?

 

それは彼のゲームの対策法とその限界だろう。彼は当然、麻布卒、東大卒ということもあり、試験やゲームといった何らかの課題や問題に対する解答の出し方が非常に合理的・効率的だ。試験勉強であれば、過去の問題を分析し、傾向をつかみ、徹底的に対策する。それ以外の無駄なことはしない。格闘ゲームであれば、強いキャラクターを選び抜き、様々な局面を分析し、最も有効な方法を考え、徹底的に練習し、実践する。それ以外の無駄なことはしない。試験勉強もゲームも変わりない。受かるために勝つために「公式」を探し、徹底的に練習し、実践する。非常に合理的なやり方である。


しかし、ゲームの場合、そこに限界がある。ゲームの場合は、当然頂点を目指して様々なプレイヤーが切磋琢磨し続ける。当然、「公式」に対する対応策ができる。分かりやすい公式であればあるほど、対応策は簡単にできるし、多くの競争相手が真似る。

ときどが勝ちにこだわり、効率的な公式を編み出そうとすればするほど、競争相手との差が埋まらなくなるという矛盾。

 
この合理的にあればあろうとするほど、勝てなくなる/非合理になるという矛盾に気が付き、ももちやウメハラといった先達やライバルから学び、これまで彼が切り捨ててきた非合理性・非効率性なもののなから勝利につながる別の何かを探し出していく…これが本書の面白さである。


また、この彼の学びや反省が面白いのは、別の分野である企業経営でも語られていることだ。それは、元神戸大学教授の吉原英樹の『「バカな」と「なるほど」』という本だ。


この本は、経営戦略においても「一見非合理(バカな)であるが、実際に実行するととても合理的(なるほど)である」ことの重要性を説いていることである。これは、一見非合理であるからして、競争相手はそれを真似する気が起きないため、参入障壁が出来るが、その実は合理的であるため、長期的な収益を獲得できるというロジックである。

合理性・効率性が勝負事の決定的な要因ではないという重要な示唆を図らずも教えてくれる本である。

 

ちなみに、彼は昔(今もかな?)そのプレイしている際の目つきの恐ろしさから、マーダーフェイスと呼ばれていた。だが、今回のEVOで彼がプレイしている際や優勝した際の表情は、殺し屋と呼ばれていたころの彼とは全く異なった精悍な顔つきだったと思うのだけれど、いかがでしょうか?

 

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【好きなもの】ThinkPad

自分はThinkPadが好きだ。というか、もはやこれしか使えないといって差し支えない。

 

※楠木教授もThinkPadの記事に出るぐらい好きなようだが、特に意識しているわけではないです…偶然です。

special.nikkeibp.co.jp

 

自らのThinkPad好きを話す前に、簡単に自分のPC遍歴を振り返ってみよう。

 

私が最初にPCを触ったのは高校生(中学生だったかも…)の頃ぐらいに親が買ってきたFM-Vだったと思う。その頃は、まだインターネットをやるにしてもダイヤルアップ回線でやっていて大したページは見られなかった。2ちゃんねるも根暗な人間の巣窟(すくつ)ぐらいにしか思われてなかったし、インターネットそのものがアンダーグラウンドな文化の一部でしかなかったと思う。

 

しばらくすると、FM-Vが古くなってきたので、安いソーテック(知らないと思いますが…)のPCへ買い替え。2,3年して、私が大学に入学した後、入学祝いに自分用のデスクトップとして、VAIOの紫色の洒落たやつを買った。大学4年間は何とかそのVAIOで乗り切り、社会人になったら東芝ダイナブックを買った。振り返ると割とミーハーな気がする。

その後、しばらくして転職して某監査法人に入所するのだが、そこで出会ったのがThinkPadだ。監査法人は基本的にクライアント先に往査して仕事をするのが通常なので、ラップトップは必須の仕事道具である。

 

初めて触ったThinkPadは確かX220という法人向けのシリーズの当時の最新機種だったと思う。最初の感想は、まー使いづらいという印象だった。使いづらさの原因は、なんと言ってもキーボード中央部にある乳首みたいなトラックポイント。このマウスとは全く異なった感触のトラックポイントの操作にかなりストレスを感じた。触ったことのある人なら分かると思うのだけれど、こう、マウスとは違う「ちから加減」が必要なんだよね。

が。

が、である。このトラックポイント、慣れると非常に使いやすい!

 

ポインタのスピードを上げてもマウスのように滑りすぎず、絶妙の位置にポインターを置くことができるし、キーボードの中心部に位置することから、キーボードを叩きながらも非常にスムーズにトラックポイントに移行することができる。マウスを持ち運ぶ必要もないし、そのスペースもいらない、効率的で使い勝手のいいデバイス。。。もはやマウスなんか使ってられません!(※まあ、他のファームも同様だと思いますが、そもそもマウスやらを使わずショートカットを駆使するのが、出来るスタッフの条件だったりするのだけれど…)

 

しかも、Xシリーズはキーボードも大き目で叩きやすく(今は割と小さくなったが…)、ボディは丈夫に作られており、HDも容量が大きく、仕事道具としての機能美を十二分に備えている。Apple製品のようなデザイン的な美しさには欠けるが、ブラックカラーでかつマットなボディは、職人的な仕事道具(スプレッドシートこねるのが大半ですが…)としての良い意味での武骨さを感じさせる仕上がり。

 

このブログも最新マシンであるX1 Carbonで書いているのだけれど、快調そのものであり、何時でも持っていたい相棒って感じのPCです!

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【好きなもの】オニツカタイガーのスニーカー

一橋大学楠木建教授といいう割と有名な経営学者が『閉じる消費』という面白いことを言っている(個人的に共感する部分が多いため、楠木教授の書籍はよく読んでいます)。

 

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閉じる消費を簡単に言うと、人間年を取ると自らの好き嫌いが割とはっきりしてくるため、好きなものを継続的に消費し、新しいものに対して手を出さなくなるということだ。

楠木教授はこの「好き嫌い」というのを非常に重視していて、自らの好き嫌いをはっきりさせることが経営学でも、そして人生においても重要なことだと言っている。

 

そこで私も簡単にであるが、自らの好き嫌いを少しずつ浮き彫りにしていくべく、好き嫌いを記載していこうと思う。ということで、まず手近なもので「スニーカー」。



 

最近…というか数年前からNew Balanceのスニーカーがブームになり、今ちょうど下火になっていると思うが、私も周回遅れでNew Balanceのスニーカーが欲しくなったのですが、今更New Balanceもなあ、と思い似たようなデザインでオニツカタイガーの「アライアンス」というスニーカーを購入しました。

 

デザイン自体はかなりシンプルだが、特筆すべきはその履きやすさ!都会の固いコンクリートを踏みしめるときに、膝にかかる負担がびっくりするぐらい少ないのが分かる!
さすが日本製、機能面は抜群だね!と言いたくなる。

こう考えると、シンプルなデザインで機能美にあふれる商品が好きなのかなと思う。割と合理的というか。

 

【雑感】ストリートファイター3とアウトレイジの音楽

ただの雑感だけれど、『ストリートファイター3』の城の屋上のステージ(リュウのステージかな?)の音楽と、映画『アウトレイジ』のオープニングの音楽が似ている気がする笑。この独特なシンセで不穏なメロディを奏でているあたりが特に。

 

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ウメハラネタでyoutubeをちょっと見ていたのだけれど、『ストリートファイター3』の音楽はなかなかいい。

 

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こちらはアウトレイジムーンライダーズ鈴木慶一。当然、よい。

【書評】『結論を言おう、日本人にMBAはいらない』遠藤功

 ★★★★★★★☆☆☆

結論を言おう、日本人にMBAはいらない (角川新書)

結論を言おう、日本人にMBAはいらない (角川新書)

 

 日本で有名なMBAというのどこであろうか?慶應、早稲田、一橋、神戸、グロービスあたりであろうか?私自身はMBAホルダーではないし、海外でも日本でもMBAを取得した知り合いはいるが、彼らにMBAの感想や評価を深く聞いたことがないため、実態はわからない。ただ、この本はMBA、特に日本のMBAを目指す人が読んで損はないと思う。

著者の遠藤功氏は外資系のコンサルティングファームであり、元早稲田ビジネススクールの教授である。つまり、日本を代表するビジネススクールの教授がMBAは日本人には必要ないと言っているのであるから、かなり挑発的なタイトルである。

 MBAの価値は私なりに本書を翻訳すれば、大まかに3つあり、「切磋琢磨」「シグナリング」そして「人脈」である。そして日本のMBAはこの3つがどれも中途半端であるため、大して役に立たないし、企業もMBAを評価しない。


米国や英国などの有名な海外のビジネススクールでは、卓越した実務家や研究者を集めて、FTやeconomist、US-NEWSなどの経済雑誌のランキングを上げ、世界中から意欲的で優秀な学生を集める。そんな彼らに厳しい課題や試験を与え、競争させ、議論させ、自らを磨き上げていく(切磋琢磨)。有名企業は著名なビジネススクールの学生を高く評価するため、卒業生は有名企業に高給取りとして雇われる(シグナリング)。そして、卒業生は世界中の有名企業へ散っていくため、ネットワークが形成される(人脈形成)。そしてますますMBAのブランド力が高まり、優秀な教授が学生が集ってくる…こうした好循環を作り上げていっているのが、海外の有名なMBAスクールである。

 

が、一方で国内MBAはそのどれもが中途半端だ。

 

まず、「切磋琢磨」である。海外の有名MBAは世界中から優秀な人材が集まり、彼らと負荷をかけ競争させることで、自らの能力を磨いていく。そこにまず価値がある。

が、そもそも国内のMBA過程は2003年度の文部科学省専門職学位過程を創設したところから始まるのだが、実際大してニーズもないのに供給だけ増やしたため、定員割れの学校が続出した。MBAを閉鎖してしまう学校まである。結果、国内のMBAに入るような人間は将来不安を感じて心の隙間を埋めたがっている中堅サラリーマンか、大して日本語もしゃべれない中国人だらけになり、海外のMBAの様に世界中からエリートをかき集めて、切磋琢磨するという環境と比較するとかけ離れたものになってしまっている。彼らに負荷をかける教授陣も、卓越した実績を残した実務家やTopTierのジャーナルに掲載した研究者はその数が限られているため、なかなか集まらない。そのため、ランキングも上がらない。

シグナリング」の面においても、そもそも中堅サラリーマンの慰め程度のものでしかなく、大して実務の能力が担保されているわけでもないため、有名企業も評価しない。いわんや外資系のコンサルティングファーム投資銀行など高給が約束されている企業である。

結局「人脈形成」の面でも、大したキャリアアップもできず、日系企業のなかで埋もれていき、大した人脈も形成できない。

…と、かなり糞味噌に書いている(当然だが私が書いているわけではない)。

正直プレジデントやらの経済雑誌やネットの与太話では「よく聞く話」ではあり、特段目新しいものでもなんでもないのだが、早稲田MBAの教授でコンサルファームの会長殿がこうして新書として書くと破壊力と説得力がまるで異なるわけである。

早稲田MBA設立までのゴタゴタ(ゲスの勘繰りになってしまうが、正直これが切欠になったのかなという感は否めない)や早稲田MBAの教授が修士論文を盗用して停職処分を受ける(滅茶苦茶…)などの早稲田MBA内部の暴露話なども、それなりに面白く読めるし(部外者ですし)、また、書きぶりは過激であるが、あながち間違った問題意識でもないと感じる。

MBAに限らず、ロースクール、アカウンティングスクール、公共政策大学院など、所謂高度専門職の大学院の迷走っぷりも似たようなものかもしれない。

もし、「ちょっと仕事も慣れてきたのだが、大したスキルも人脈もないし会社も自分も将来が不安だから、大学院でも行こうかな…」と考えている人がいたら、読んで頭を冷やしてみてもいいかもしれない。