日記

日記です。

【映画評】『ブレードランナー 2049』/独身男性の琴線に響く、女性不在の壮大なSF

www.bladerunner2049.jp

 

80年代のリドリー・スコット監督の伝説的な映画『ブレードランナー』の続編です。結論から言えば、今年、いやここ2、3年で最もよい映画でした。1枚の絵画のような息をのむ美しい荒廃した近未来の映像を、低音が唸るような不穏な電子音とともに物語を紡いでいき、1秒たりとも飽きさせることはないです。

これはまさに映画館で見るべき映画なので、上映中に大きな映画館でぜひ見てください!

物語は、前作『ブレードランナー』よりさらに未来の話。荒廃しつくした近未来では、レプリカントと呼ばれる人間の労働力の代替として存在する人造人間が人間と共に暮らしている。前時代の遺物である旧型のレプリカントを駆逐するために存在する捜査官、通称”ブレードランナー”であるKは、旧型レプリカントのサッパーを農場で発見し、処分する。その家の近くにあった枯れ果てた木の根元に、昔のレプリカントの骨を発見する。しかし、その骨をよく調べると、妊娠した形跡があること発見。生殖機能を持たないはずのレプリカントが妊娠した可能性に恐怖を抱いたLAPDはその子供を探し出し、無かったものとして探して処分しようと試みる。
一方、レプリカントを製造している巨大企業の社長であるウォレスはその子供を探し出し、レプリカントが生殖能力を持つ可能性に、更なる拡大生産を目論む。
しかし、Kはさまざまな手掛かりを見て一つの疑問、仮説を持ち始める。自分がそのレプリカントの子供ではないかと…

 前述したとおり、薄暗いスモッグや灰のような雪の中に、メガロマニアックな高層ビル群が浮き彫りになってくる様は必見。初代『ブレードランナー』を見た観客の衝撃を知ることはできないのだが、それに近いものは体感できるのではないか?そう思わせるぐらいに圧倒的な映像です。

また音楽も負けず劣らず迫力があり、地鳴りのような重低音が響き渡り、映像とともに観客を圧倒する素晴らしい出来映え。

そして、ストーリーはとても物悲しい。その物悲しさが、独身男性の寂しい心に響くようなものなのです(笑)
例えば主人公であるKが自宅に帰り、食事を摂るシーン。何かパックされた冷麺のようなものを温めて、一皿の簡単な料理を作り、3Dの女の子と喋りながら食べる…日本の現代の独身男性を模したかのような映像であり、何か変な親近感を覚えます(私は2次元の女性とコンビニ弁当食べることはしませんが…)。

家族もいなく、近所づきあいもなく、職場の上司とは仕事以外の関係はなく、自分と同じレプリカントを処分するという矛盾を抱えたまま、黙々と暮らす日々。そんな中に一筋の希望を見つける。「自分はもしかしたら特別な存在かもしれない」という希望。

 

そして、特別でも何でもないという絶望。

 

しかし、それでも前に進むという姿勢。

友達がいなくても、彼女もいなくても、結婚できなくても、最後に信じた道を進む一人のレプリカントに、冴えない独身男性たちは涙するのではないでしょうか?(まあ、ライアン・ゴズリングだから様になっているだけで、冴えないやつは何やっても冴えないかも知れませんが…私含めて…)

が、一方で気になることがもう一つ。

それは、『独身男性に響く』ということの裏返しでもあるのですが、もしかしたら『女性にはさっぱり分からない』ということ。

というのも、この映画、”女性”がほとんど出てきません。

美しくも最高におっかなかったラブはレプリカントであり、任務を遂行する際の彼女は機械や悪魔といった類。次に、同じくおっかないロビン・ライト演じるマダムは男性的な女性であり、3Dのホログラムであるジョイは男性が身勝手に夢想する女性。唯一はマリエットなのだけれど、彼女は娼婦であり、男性の性の対象でしかない。

なので、(男性の私から観ても)あくまでも男性の視点でしか女性を描けていないという気がし、あまり女性が見て共感や感動を覚える造りになっていないのではないかという気がしています。

ただ、繰り返しになりますが、映像は近年稀に見るような美しさであり、テカテカしたCG映像とは一線を画す仕上がりであり、全くもって見て損はない映画です。

圧倒的におススメ。

【書評】『勝ちすぎた監督』中村計

 

★★★★★☆☆☆☆☆ 

個人的に、野球についてはあまり興味がない。プロ野球も夜中のダイジェスト放送で何となく流し見し、地元の球団が負けこんでもそんなに嘆いたりしない。

こんな感じなので、本書のテーマである甲子園も正直、大して興味がない。シーズンが過ぎてはじめて優勝チームを把握する。その程度だ。が、そんな私でも2006年の早稲田実業駒大苫小牧の決勝戦は覚えている。それぐらい、この時の戦いは異質だったし、異常な盛り上がりだった。

 

本書では、その時の敗者である駒大苫小牧の監督、香田誉士史氏のノンフィクションである。香田氏は大学卒業後間もなく、母校・駒澤大学の付属高校である駒大苫小牧に野球部顧問として赴任。90年代半ば、その厳しい気候や北国特有の気質等も影響し、北海道はいまだ甲子園での優勝経験はなく、強豪校との差は大きかった。そんな中で香田監督は異常ともいえる厳しさで高校球児を鍛え上げる。また、彼の野球人としての優れた感性、斬新な練習方法の導入などもあり、徐々に駒大苫小牧は北海道の強豪校として進化していく。そして、2004年、甲子園の頂点に昇りつめ、2005年に連覇、2006年には準優勝と近年稀に見る成績を収め、一時代を築き上げていった。

しかし、優勝する一方で部長の日常的な暴力行為、選手の飲酒・喫煙、それに伴う選抜大会の辞退など、負の側面も明るみに出てしまう。

本書は、長い甲子園の歴史の中で揺ぎ無い歴史を築き上げ墜ちていく過程を、香田監督を中心として、丹念に描いている。

 

特筆すべきは香田監督の異常なまでの厳しさ。北海道の厳しい気候の中での練習。容赦ない罵声。そして暴力。本書では自信も手を上げていたことを告白している。一方で、繊細であり、優れた野球の感性を持ち合わせる。天才の一種なんだろうと思う。

そんな香田監督でも10年をかけ、ようやく甲子園で優勝できるチームを作り上げることが出来た。チームビルディングの難しさを感じる。

 

ただ、個人として、ビジネスマンとして、あまり参考にはならないかなと思う。

 

また、本書の弱い点としてかなり野球のテクニカルタームが多く、冗長に感じる。野球に詳しい人が読めば、面白く感じるかもしれないけど。

 

【会計士関連】なぜ公認会計士は使えないのか?シリーズ① 視点の違い、目線の低さについて

公認会計士と聞くとどういった印象を受けるだろうか?会計に精通しているのは、もちろんのこと、経営戦略や管理業務にも詳しく、まさに将来のCFO候補達といった煌びやかなものだろうか?

はたまた、どーでもいい些細な論点を突っつきまわして、会社の事業や実務など碌に知らず、日々しょうもない仕事をしているくせに変に給料は高く、妙に上から目線の偉そうな会計オタク連中といった感じだろうか?

私は監査法人から事業会社に数か月経つのだけれど、何となくだが事業会社が公認会計士に求める能力、資質とそのギャップが見えてきた気がする。

メモ書きのようなものだけれど、公認会計士に何が足りないのか、ちょっとずつ書いていこうと思う。逆に、今監査法人にいる公認会計士の人たちはこの足りない部分を少し考えながら日々の業務に当たってほしいと思う(もしかしたら、転職活動もちょっとだけスムーズになるかもね)。

まずはかなり根本的なところから、「目線の低さ」と「視点の違い」という話から。

  1. 目線の低さ
    事業会社は監査法人から四半期や期末の監査が終了すると、その期の検出事項をまとめた書類を貰う。事務所によっていろいろ異なるが、マネジメントレターとか言ったりする。文字通り、経営者に宛てた書類だ。最近だと、WordではなくPowerPointで作成されたビジュアル的にも美しいものも多くなってきている。マネジメントレターに書かれることは、会社が抱える会計上の論点や内部統制上の課題などが中心だ。会計上の論点だと、のれんや有形固定資産の減損損失や、繰延税金資産の回収可能性といった昨今話題になっている会計上の見積りのトピックが多く、内部統制上の課題だと会計システムのID管理の不備や、海外子会社の不正等が多いのではないだろうか?

    ただこのマネジメントレター、事業会社側からすると部分的過ぎるのだ(一応、監査法人出身者として些細とは言いませんとも、ええ)。

    例えば、内部統制上の論点だと、テストした結果、証票書類に一部不備があった(ハンコがないとか)、システムのIDの棚卸が出来ていなかった、一部処理に誤りがあり使っているスプレッドシートがイケてなかった…など。
    確かにエラーはエラーであり、不備は不備であり、検出事項として伝えるのは大事なのだけれど、あれだけ膨大な時間を費やして、高い金払って(まあ、これは反論あるかと思うが…)結局出てきた成果物がこの調子だと、まあ事業会社側はシラケるわけです。お偉方は特に。

    なぜ、こうなってしまうかというと、今の監査がこういうもんだから。

    今の監査は昔と異なり、属人的な、感覚的なものから離れ、かなり標準化されシステム化されている。昔ながらの”大先生”による異常点監査ではなく、やるべきことが監査基準や各法人のマニュアルなどで明確化されており、割とどのチームでもやるべきことというのが似通ってきている。そして、実際に行った手続は電子調書として纏められ、漏れがないようにシステム化されている。

    しかも、この標準化・システム化は大体グローバルに展開されるため、各法人間、そして各国家間においても少しずつ差がなくなってきている。これはこれでメリットがある。昔はチームごと、パートナーごとに監査で実施することが異なっており、ある会社はザルであり、ある会社は非常に細かく視られるといった差があった。で、ザルっぽいことをやっていた会社から粉飾決算が見つかったりする。標準化やシステム化を進めれば、少しずつだけれどもこういった人による、チームによる、法人による差というのはなくなり、一定の水準は確保できる。監査の品質管理というやつだ。

    一方で、標準化・システム化の陰で失われたものもある。

    昔は少し時間的に余裕がある一方で、会社とのコミュニケーションを密にとる時間があった。それは単純に作業が少なかったから、クライアントの人と飲みに行く時間がいっぱいあった、というだけではない。今と異なり、パートナーのローテーション制度(パートナーは5年だか7年だかで別のパートナーに交代する必要があるのだ)もなく、一つのクライアントに長い期間コミットできた。

    ぺーぺーのアソシエイトやスタッフが最初はおっかない経理課長に怒られながら少しずつ会社の理解を深め、数年経ちシニアになって、ややこしい会計処理や新しい基準が出れば会社から頼られるようになり、時には自ら決算作業を手伝って、また何年かしてマネージャーになれば、取締役や部長クラスと全社的な観点から会計上の論点や内部統制なんかを議論しつつ、クライアントのビジネスとは何なのかという本質を知り、そしてパートナーなる。その頃になると、もうクライアントと付き合い始めてから10数年経ち、会社の経理担当者よりも詳しかったりする。厄介払いされるので、会社にはあまり行かなくなったけれども、大事なミーティングなどでは結構鋭いことを会社にも言ったりする。

    事業会社ではそんな監査法人のパートナーをおっかないなあと思いながら、反面頼りにしていたりする。難しい論点があれば、答えを出してくれるし、たまのミーティングではなるほどと思うことを言う。

    こうして、長い年月をかけて、公認会計士も会社の二人三脚で成長できていたのではないだろうか?会社は事業の知識を、会計士は会計の知識をそれぞれ持ち合い、お互いに補完しあい成長するという関係。しかし、いつしかそのサイクルが上手く回らなくなり、お互いがお互いを甘やかす結果となり、粉飾などの問題が発覚する。そして世間は両社の関係をこう批判する。

    「馴れ合い」だと。

    結局、お互い少し距離を取って「節度ある」お付き合いをすることが求められた。標準化とやらでやることが増えたし、つまらないエクスキューズのための書類も増えた。一方で、少しずつ会社のことが、ビジネスのことが分からなくなった。分からない人が増えた。経営者に”刺さる”ことなんて書けないし、そんなこと考えている時間もない。そもそも、経営者にも取締役にも大して話したことないし何考えてるのだか分からないし。下の連中に聞くと、何やら内部統制のテストで、ちょっとエビデンスがなかったらしい。じゃ、ここら辺の当たり障りのないことを適当にまとめて報告するか…となり、先の面白くとも何ともないマネジメントレターが出来上がる。

    会社も会計士に頼らなくなった。会計士は転職市場に定期的に出回るから必要であれば雇えばいいし、検索エンジンなどの進化で、インターネットに聞くほうが早いこともある。というか、会計士が調べ物をするときにググってるし。

    結局、会社との、経営との接点が少なくなり、パートナーやマネージャーというそこそこの立場の人間が、経営、事業、管理、海外といった視点で問題を語り、それを納得させる能力が失われて行ってしまったのだと思う。

    なので、事業会社からすると、特に昔の怖い大先生を知っている人からすると、どうにも目線が低くて、期待外れに感じてしまうのだろう。

  2. 視点の違い
    いや、そうではなく、そもそも監査がこういうもんだから、という理由もある。
    前提中の前提の話だが、監査は、投資家保護がまず最初の目的であり、会計基準との準拠性や重大な虚偽がないかどうかが重要。
    内部統制監査が始まって以来、一応財務諸表ができるプロセスを追っていったりするものの、実際に会計士自らが手を動かすことはなく(というか、できないのだが)、その実効性や効率性なんかは肌身で感じることはない。飽くまでも出来上がったものにケチをつけるというスタンス。
    なので、経営や事業の課題はそれは経営者や事業会社の人間が考えることであって、会計士の仕事じゃない。それを期待するのなら、コンサルティング会社かアドバイザリーファームにでも言ってよ。なんならグループのコンサル会社を紹介しましょうか?…と考え始めれば、今っぽい監査法人の会計士の出来上がりと。

    これはこれで一理ある。監査は別に経営コンサルティングでも何でもない。はなから、目的が全く違うのだから、それを求められても困るのである。

    結果、こういうマインドの人からは残念ながら事業会社が求めるようなものは何も出てこない。当たり前だ、考える必要性を感じていないのだから。

    加えていうならば、こういう会計士は就職活動すると大体面接で撥ねられる。手転職理由として「経営に貢献できることがしたいです」というのだけれど、具体的なことを聞くと、全く考えていないか、的外れなことが大半だから。

 結局、事業を知ること、事業と会計を結び付けること、会計から事業に貢献できることを考え、そして出来る範囲で実践することが重要なのだけれど、今は監査法人でその機会が十分に与えられていない。偉い人や昔の人の一部はそれに気が付いていて、何とかしたいと思っているけれども、そもそも監査そのものの業務のボリュームが大きくなってきているため、この流れを変えるのはなかなか難しそうだと思っている。

 

【書評】『外資系コンサルのスライド作成術―図解表現23のテクニック』山口周

 ★★☆☆☆

 

今勤務している会社は、Wordをほとんど使わない。中途入社社員にマッキンゼーやらBボストンコンサルティンググループ(以下、BCG)やらコンサルティングファーム上がりの人が一定数いるからか、報告資料や補助的なハンドアウト等、大よそ全てPowerPointで作成する。

 

そこで様々な人が作成したスライドを目にするのだが、まー、千差万別である。グラフやチャートの作り方、メッセージを置く場所、配色、シェイドの使い方…割と「最低限こういう風にしなさい!」というお作法が決まっていて、スライドについては細かい指摘が入る会社だとは思うのだけれど、それでもレベル感はいまいちだ(私もそんなに自信があるほうではないです…)。

 

例えば、職場だとしばしば、上司が作った資料について部下の私が”忌憚無き”アドバイスを求められる。目の前には、レゲエのアルバムのジャケットかのごとくラスタカラーの良く分からないチャート…上司は割と達成感ある顔で「どうかな?なかなか分かりやすいと思うのだけれど…」と言われる。さすがに私も「何がやりたいのかサッパリわかりません」と忌憚なく言うと今後の仕事に支障が出るのは承知しているので、やんわりと「このボックスは削ってもよいのでは…」「色はもうすこし淡いほうが…」「矢印とかを使っては…」と誘導していく。しかし、なかなか改善せず似たような要領を得ないスライドが各所で量産される。

 

ここで、スライド作成が厄介なのは(エクセルもそうだと思うが)、「自分で作っている間に自分の頭が整理されてしまう」ことだ。このため、作った本人は最高にわかりやすい資料を作ったと思い込み、何故他人からみて理解しにくいかが分からない。

これを解決する一つの手段が、「型にはめる」という方法だ。その、「型」を完結に教えてくれるのが、本書だ。

 

 

この手のスライド作成術というのは、一時期雨後の竹の子のように出てきてもはや差別化が難しいと思っていたが、どうしてどうして、簡潔に纏まっていてとても良かった。

テクニックというサブタイトルからどうしてもPowerPointの操作やグラフの細かな描き方が主な内容化と思ってしまうが、内容はテクニックというよりは原理原則、プリンシプルが記載されている。スライドを作成する順番、数値の種類とそれに適したグラフ、メッセージとチャートの軸を整合させる…など、スライド作成の基本が内容だ。

 

本書のまず良い点は、非常に簡素に書かれているという点。ページ数も160ページ程度しかないため、サクサク読める。おそらく多くの人は半日から1日程度で読めると思う。

二つ目は、簡素である一方で情報理論などに基づいたアカデミックな知識を少しずつ盛り込んでいる点だ。

例えば、人間の知覚上、「長さ」と「面積」では、「面積」は差異を知覚する上で劣っている。このため、円グラフはあまり使用するのは限られるべきであるといったアドバイス(BCGでは円グラフ使用禁止らしい、へー)。

はたまた、スライドは左上から右下に進んで視線が移動するため、右上の「強い休閑領域」に重要なメッセージをおかないというグーテンベルグ・ダイアグラムなど、なかなか面白い挿話があり、簡素な割に勉強になるのも本書の特徴だ。

スライド作成の書籍は類書は様々あるけれども、とりあえずこの1冊で「型」を学べばいいんじゃないかと思います!(逆にこの「型」を徹底するのが大変という…)

 

※本書には以下の姉妹版の「作例集」があり、より豊富な事例に触れることが出来る。上記の書籍だけだとイメージが湧きづらいという方はどうぞ。普通に見ていても面白いです。

 

【書評】『東大卒プロゲーマ― 論理は結局、情熱にはかなわない』ときど (※あるいは、個人史的『「バカな」と「なるほど」』)

 

 

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格闘ゲームの世界では1年に1回、「EVO」という大きな大会がアメリカで開催される。そこでは複数タイトルで競われるのだが、その中で目玉の一つである『Street Figher Ⅴ』で、頂点に立ったのが、今回の著者”ときど”こと、谷口一氏である。

 

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ときど氏は見た目比較的若い印象を受けるが、現在32歳。格闘ゲームの世界ではベテラン中のベテラン。日本だとウメハラと並び称されるほどの有名人。


そんな彼が自分の半生と自分の格闘ゲームや人生に対する考え方や姿勢を書いたのが本書だ。概要を書くと、ときどは、タイトルにもなっているように東大卒だ。もともと都内の「御三家」の一つ名門・麻布高校を卒業し、一浪して東京大学に合格。工学部に進学し、大学院に入ったものの、中退。国家公務員になる道もあったものの辞退し、当時海のものとも山のものとも知れないプロゲーマーの道へ進み、世界でも屈指のプロゲーマ―の一人として活躍している…と書いてきたら、東大卒でゲームなんてちっともやらないような真面目君が、冴えない大学生活の中で格闘ゲームの面白さに目覚め、世間の様々な偏見等に立ち向かいながら、プロゲーマ―としての道を歩む…という半生ではまったくない。

というのも、このときど氏、そもそも中学時代から格闘ゲームが相当強く、高校時代にはすでに世界的な大会で結果を残していてる。しかも、ご両親、というか御父上はゲームや子供の興味について理解がある方で、格ゲーばかりやる息子の障害になるということはなかったそうな。

この本人の恵まれた才と理解ある御両親という環境、高校時代に頂点に立ち、東大へ合格するという幼少時代は、はっきり言ってほとんどの人からはまさに順風満帆という印象だろう。だもんで、本書はときど氏の挫折やら絶望といったものが滔々と書かれているのだけれど、その内容と言えば「調子に乗って先輩に怒られた」「勉強しなくて東大不合格だった」「試験の成績が悪くて望んだ研究室に入れなくて不貞腐れた」といった程度であり、正直読者が期待しているような暴力的な父親に隠れながらも、自販機の下で50円玉をせっせと集め、塾帰りにカツアゲに怯えながら六本木のゲーセンで格ゲーの腕を磨き、世界を獲る…というストーリーではありません!

 

なもんで、ときど氏の半生は正直、そんなに面白くない…(凡人の僻みかもしれないが…)。 

 

では、本書の面白さは何か?

 

それは彼のゲームの対策法とその限界だろう。彼は当然、麻布卒、東大卒ということもあり、試験やゲームといった何らかの課題や問題に対する解答の出し方が非常に合理的・効率的だ。試験勉強であれば、過去の問題を分析し、傾向をつかみ、徹底的に対策する。それ以外の無駄なことはしない。格闘ゲームであれば、強いキャラクターを選び抜き、様々な局面を分析し、最も有効な方法を考え、徹底的に練習し、実践する。それ以外の無駄なことはしない。試験勉強もゲームも変わりない。受かるために勝つために「公式」を探し、徹底的に練習し、実践する。非常に合理的なやり方である。


しかし、ゲームの場合、そこに限界がある。ゲームの場合は、当然頂点を目指して様々なプレイヤーが切磋琢磨し続ける。当然、「公式」に対する対応策ができる。分かりやすい公式であればあるほど、対応策は簡単にできるし、多くの競争相手が真似る。

ときどが勝ちにこだわり、効率的な公式を編み出そうとすればするほど、競争相手との差が埋まらなくなるという矛盾。

 
この合理的にあればあろうとするほど、勝てなくなる/非合理になるという矛盾に気が付き、ももちやウメハラといった先達やライバルから学び、これまで彼が切り捨ててきた非合理性・非効率性なもののなから勝利につながる別の何かを探し出していく…これが本書の面白さである。


また、この彼の学びや反省が面白いのは、別の分野である企業経営でも語られていることだ。それは、元神戸大学教授の吉原英樹の『「バカな」と「なるほど」』という本だ。


この本は、経営戦略においても「一見非合理(バカな)であるが、実際に実行するととても合理的(なるほど)である」ことの重要性を説いていることである。これは、一見非合理であるからして、競争相手はそれを真似する気が起きないため、参入障壁が出来るが、その実は合理的であるため、長期的な収益を獲得できるというロジックである。

合理性・効率性が勝負事の決定的な要因ではないという重要な示唆を図らずも教えてくれる本である。

 

ちなみに、彼は昔(今もかな?)そのプレイしている際の目つきの恐ろしさから、マーダーフェイスと呼ばれていた。だが、今回のEVOで彼がプレイしている際や優勝した際の表情は、殺し屋と呼ばれていたころの彼とは全く異なった精悍な顔つきだったと思うのだけれど、いかがでしょうか?

 

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【好きなもの】ThinkPad

自分はThinkPadが好きだ。というか、もはやこれしか使えないといって差し支えない。

 

※楠木教授もThinkPadの記事に出るぐらい好きなようだが、特に意識しているわけではないです…偶然です。

special.nikkeibp.co.jp

 

自らのThinkPad好きを話す前に、簡単に自分のPC遍歴を振り返ってみよう。

 

私が最初にPCを触ったのは高校生(中学生だったかも…)の頃ぐらいに親が買ってきたFM-Vだったと思う。その頃は、まだインターネットをやるにしてもダイヤルアップ回線でやっていて大したページは見られなかった。2ちゃんねるも根暗な人間の巣窟(すくつ)ぐらいにしか思われてなかったし、インターネットそのものがアンダーグラウンドな文化の一部でしかなかったと思う。

 

しばらくすると、FM-Vが古くなってきたので、安いソーテック(知らないと思いますが…)のPCへ買い替え。2,3年して、私が大学に入学した後、入学祝いに自分用のデスクトップとして、VAIOの紫色の洒落たやつを買った。大学4年間は何とかそのVAIOで乗り切り、社会人になったら東芝ダイナブックを買った。振り返ると割とミーハーな気がする。

その後、しばらくして転職して某監査法人に入所するのだが、そこで出会ったのがThinkPadだ。監査法人は基本的にクライアント先に往査して仕事をするのが通常なので、ラップトップは必須の仕事道具である。

 

初めて触ったThinkPadは確かX220という法人向けのシリーズの当時の最新機種だったと思う。最初の感想は、まー使いづらいという印象だった。使いづらさの原因は、なんと言ってもキーボード中央部にある乳首みたいなトラックポイント。このマウスとは全く異なった感触のトラックポイントの操作にかなりストレスを感じた。触ったことのある人なら分かると思うのだけれど、こう、マウスとは違う「ちから加減」が必要なんだよね。

が。

が、である。このトラックポイント、慣れると非常に使いやすい!

 

ポインタのスピードを上げてもマウスのように滑りすぎず、絶妙の位置にポインターを置くことができるし、キーボードの中心部に位置することから、キーボードを叩きながらも非常にスムーズにトラックポイントに移行することができる。マウスを持ち運ぶ必要もないし、そのスペースもいらない、効率的で使い勝手のいいデバイス。。。もはやマウスなんか使ってられません!(※まあ、他のファームも同様だと思いますが、そもそもマウスやらを使わずショートカットを駆使するのが、出来るスタッフの条件だったりするのだけれど…)

 

しかも、Xシリーズはキーボードも大き目で叩きやすく(今は割と小さくなったが…)、ボディは丈夫に作られており、HDも容量が大きく、仕事道具としての機能美を十二分に備えている。Apple製品のようなデザイン的な美しさには欠けるが、ブラックカラーでかつマットなボディは、職人的な仕事道具(スプレッドシートこねるのが大半ですが…)としての良い意味での武骨さを感じさせる仕上がり。

 

このブログも最新マシンであるX1 Carbonで書いているのだけれど、快調そのものであり、何時でも持っていたい相棒って感じのPCです!

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【好きなもの】オニツカタイガーのスニーカー

一橋大学楠木建教授といいう割と有名な経営学者が『閉じる消費』という面白いことを言っている(個人的に共感する部分が多いため、楠木教授の書籍はよく読んでいます)。

 

ameblo.jp

 

閉じる消費を簡単に言うと、人間年を取ると自らの好き嫌いが割とはっきりしてくるため、好きなものを継続的に消費し、新しいものに対して手を出さなくなるということだ。

楠木教授はこの「好き嫌い」というのを非常に重視していて、自らの好き嫌いをはっきりさせることが経営学でも、そして人生においても重要なことだと言っている。

 

そこで私も簡単にであるが、自らの好き嫌いを少しずつ浮き彫りにしていくべく、好き嫌いを記載していこうと思う。ということで、まず手近なもので「スニーカー」。



 

最近…というか数年前からNew Balanceのスニーカーがブームになり、今ちょうど下火になっていると思うが、私も周回遅れでNew Balanceのスニーカーが欲しくなったのですが、今更New Balanceもなあ、と思い似たようなデザインでオニツカタイガーの「アライアンス」というスニーカーを購入しました。

 

デザイン自体はかなりシンプルだが、特筆すべきはその履きやすさ!都会の固いコンクリートを踏みしめるときに、膝にかかる負担がびっくりするぐらい少ないのが分かる!
さすが日本製、機能面は抜群だね!と言いたくなる。

こう考えると、シンプルなデザインで機能美にあふれる商品が好きなのかなと思う。割と合理的というか。